Who could ever
want this to
happen again?
To anyone?
これが再び起こることを誰が望むだろうか?どこの誰に?
ー Keith Haring, July 28, 1988
これが再び起こることを誰が望むだろうか?
どこの誰に?
ーキース・ヘリング、1988年7月28日
Untitled, 1982
1958年に生まれた私は、宇宙時代の最初の世代であり、テレビ技術と容易に得られる満足感に満ちた世界に生まれた。私は原子時代の子供だ。60年代のアメリカで育ち、ベトナム戦争に関する『ライフ』の記事を通じて戦争について学んだ。 白人中流階級の家庭で、暖かなリビングルームのテレビ画面越しに安全に暴動を見ていた。
ーキース・ヘリング、1982年
Poster for Nuclear Disarmament
1982
Keith Haring handing out Nuclear Disarmament Posters after a No Nukes Rally
©Joseph Szkodzinski 2023
Untitled, 1984
©︎Keith Haring Foundation
故郷のペンシルベニアを離れてニューヨークへ移り、本格的にアーティストとして活動を行った1980年代、世界にはかつてない数の核弾頭が存在しました。その大部分を保有するアメリカでは軍拡政策への反対運動が活発化し、1982年6月、現在でも米国で史上最大規模といわれる反核デモがニューヨークで行われました。ヘリングはこのデモのために《核放棄のためのポスター》を制作し、セントラル・パークで2万枚を配布することで核放棄を訴えました。本展の前半では、このように80年代の反戦・反核運動をアートの力で後押ししたヘリングの姿、そして大衆へ効果的にメッセージを届けるための媒体と手法を模索しながら、平和と自由をテーマとして制作された作品をご紹介します。
1987年10月、ヘリングは東京都多摩市に誕生した複合文化施設「パルテノン多摩」でのワークショップ開催のため来日しました。開館記念イベントとして2日間にわたって開催されたこのワークショップには500人の子どもたちが参加し、2点の壁画《平和Ⅰ-Ⅳ》、《マイ・タウン》と5点の立体作品《サウンド・ツリー》が制作されました。壁画は、ヘリングがあらかじめパネルに黒い線でモチーフを描き、余白を子どもたちが埋めるようにして制作されました。立体作品は、ヘリングによる指示書をもとにツリーが制作され、そこに子どもたちが自由に絵やメッセージを描き、鈴やチェーンで飾りつけられました。ヘリングはこうしたワークショップを世界各地で行いましたが、子どもたちとの共作においても、構図や配色など芸術作品としてのディテールにこだわりました。その完成度の高さゆえ、こうして現在でも1987年に子どもたちが残したメッセージを受け取ることができるのです。
Keith Haring inTama City
1987
My Town, 1987, Courtesy of Tama City Cultural Foundation
展示期間:2024年12月3日(火)〜2025年5月18日(日)
PeaceⅠ-Ⅳ, 1987, Courtesy of Tama City Cultural Foundation
展示期間:2024年6月1日(土)〜2024年12月1日(日)
Photo by ©︎Chikako Ikegami
Apocalypse
1988
真撃なアーティストはみんな不可能を試みる。その成功が、空に大きく黙示録を書くだろう。アーティストは奇跡を狙う。画家は、自分の絵がキャンバスから抜け出して、別個の生命を持ち、絵の外での動きを持つよう意図している。そして生地のほころび一つで、伏魔殿はたちまちなだれこんでくる。
ーウィリアム・バロウズ(イントロダクションより抜粋/山形浩生訳)
「黙示録」を意味する本作《アポカリプス》は、1950年代のアメリカにおいて保守的な政権に対して言葉を用いて異議を呈し、芸術の領域などに大きな影響を与えた「ビート・ジェネレーション」を代表する作家、ウィリアム・S・バロウスとヘリングとの共作です。敬愛する作家との共作の機会を得たヘリングは、バロウズによる10篇の詩を独自に解釈し、美術史やキリスト教、大衆文化に登場する図像を軸にコラージュにより世界の終焉を構築しました。
Apocalypse, 1988
Keith Haring
in Hiroshima
1988
本展の副題は、ヘリングが広島平和記念資料館を訪れた際に日記に残した「これが再び起こることを誰が望むだろうか?どこの誰に?」という言葉に着想を得ています。1988年、広島で行われた原爆養護ホーム建設のためのチャリティコンサート「HIROSHIMA ’88」のメインイメージを手がけたことをきっかけに、ヘリングは被爆地ヒロシマを訪れました。原爆ドームや広島平和記念資料館へ足を運び、戦争の悲惨さを目の当たりにしたヘリングは、平和への思いを形にすべく壁画制作を申し出ますが、実現には結びつきませんでした。本展の後半では、これまで本格的な調査のなされてこなかったヘリングの広島訪問の経緯を探り、広島への思いを明らかにします。
©︎Keith Haring Foundation
Poster and LP Cover for "HIROSHIMA '88", 1988